山について語るときに僕の語ること(What I Talk About When I Talk About Mountain)

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カテゴリ:エッセイ( 24 )


2015年 05月 01日

この4月

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今日から5月になりました。
4月はじめに九州ツアーから帰京してから結局一度もブログを更新しませんでした。
これには特に深い意味はなく、体調も良好ですのでご心配なく。
忙しかったかと言えばそういうわけでもなく、ふだんに比べ、少し時間的にゆとりを持って過ごしたのがこの4月でした。
山にそれほど行かなかったから、ブログに載せたいなと思うような写真をあまり撮らなかったためかもしれません。
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4月26日の日曜日は絶好の登山日和のもと、富士宮口から富士山に登ってきました。
富士宮口は五合目の標高が一番高いし、かつ剣ヶ峰に近いのが利点です。
富士山はやはり剣ヶ峰まで登ると、山頂に立ったなあという気になります。
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4月はもともとあまり仕事を入れていなかったせいで(もちろん、入れようとしてもそんなには入らないといえば入らないのですが笑)、久しぶりに時間にゆとりを持って過ごすことができました。
この3月で長く(15年!)続けた月1回の日帰りハイキングの会を終えることにし、また10年間就ていた法政大学山岳部監督の職務も辞しました。
そんなことで、いっそう気持ち的にゆとりができたのがこの4月です。
時間にゆとりがあると、仕事もゆっくり整理できるし、やりたいと思っていたことにも取り組めるし、トレーニングも改めてはじめたりできるし……で、さまざまな面でメリットがあります。
こういう時間(月)を持つのは大事だなと改めて思いました。
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4月終わりには、篠原ガイドと5年がかりで開拓していた金峰山の新ルート(マルチピッチ)をようやく完成させることができました。
写真は1ピッチ目。洞窟の中からスタートです。
ピッチ数は8〜9ピッチ+岩稜。グレードは5.10bです。
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そうだ、この4月はパソコンもマックに替えました。
実は買ったのはもう2〜3ヶ月前なのですが、いろいろあってしばらく寝かしてまして、ようやく使い始めました。
当然ながら苦労もありましたが、今はかなり快適にストレスなく使え、替えて正解だったと思っています。
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昨日(4月30日)に訪ねた、あしかがフラワーパークは今が藤の花の最盛期。
想像を超える素晴らしさでした。
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山岳ガイド松原尚之のホームページはこちらです。
新しい募集企画や「目指せ北鎌尾根2015」もアップしています。

by uobmm | 2015-05-01 12:38 | エッセイ | Trackback
2014年 11月 14日

アルピニズムと死/New book of Yasushi Yamanoi

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山野井泰史自身の筆による10年ぶりの新刊が出版されました。
発売になる『山と渓谷』12月号にその書評を書かせていただきました。
山野井泰史に関連する本ではこれまで、『ソロ 単独登攀者山野井泰史』(丸山直樹)や、『垂直の記憶』(山野井泰史)も『山と渓谷』や『Rock&Snow』などで書評を書かせてもらっています。
光栄なことだと思います。
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by uobmm | 2014-11-14 18:47 | エッセイ | Trackback
2013年 08月 20日

オオムラサキ

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先週の木曜は、寝室ではなく仕事部屋にふとんを敷いて寝ることにした。
私の寝室はマンションの通路側に面しているのでエアコンがつけられない。
仕事部屋も同じく通路側なのだが、室外機のいらない窓に取り付けるタイプのクーラーを入れている。ただし、この冷房機は冷えが悪いうえ、なおかつ定期的にバタンバタンと音を出すので、眠るにはとても不向きだ。
それで眠りが浅かったせいか、朝方、夢を見た。父の夢だった。
久しぶりに会う父は、終始穏やかな笑みを浮かべ、機嫌がよさそうだった。
父は私と話がしたいようで、なぜか公園のブランコに座った。
私も仕方なく隣のブランコに座り、少し大きくブランコを揺らした。
次のシーンで私と父はどこかの開けた草原状の山を下っていた。
そこに一羽の蝶が飛んできた。オオムラサキ(日本の国蝶)だった。
オオムラサキは私の腕にとまり、羽を閉じたり開いたりした。
その頃私は今見ているのが夢であることをなんとなく認識していたのだが、それでも生まれて初めて本物のオオムラサキを見ることができ、とてもうれしかった。
父もうれしそうだった。
何しろ父は、若いころ蝶の標本を集めていたくらいなのだ。
私は父のようなマニアではなかったが、むろん昆虫は嫌いじゃなかった。
小学生の時分、どこに行ったらオオムラサキを見られる? と父に尋ねたことがある。
「うーん、高尾山ならいるかなあ……」。父はそんなふうに答えた。
私たちは山小屋のようなビジターセンターのようなところに一緒に入り、夢はそのあたりで終わった。
父の夢を見るなんて珍しいし、自宅で寝ていて夢を見ること自体あまりない。
先週の金曜日、8月16日の朝は北岳に行くために5時に起きた。そして目を覚ましてから気がついた。
今がお盆であるということに。
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  ※写真の蝶はオオムラサキではありません。八方尾根で撮ったアサギマダラです。

by uobmm | 2013-08-20 11:13 | エッセイ | Trackback
2011年 10月 16日

焼岳小屋にて

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先の焼岳登山では、焼岳小屋で一泊しました。
昔ながらの山小屋の面影を残した、静かな落ち着いた山小屋です。
平日にもかかわらずたくさんの登山者に会いましたが、そのほとんどは日帰りのようで、焼岳小屋の宿泊者は私たちの他に男性4人のパーティーがあるだけでした。
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お酒をすすめていただいたことをきっかけに話をしたのですが、驚いたことに、4人の男性の平均年齢は80歳に近いのでした。
山で年配の登山者に出会うのは珍しいことではありませんが、80歳を超えている方となるとさすがに多くありません。
彼らからうかがった生まれ年を記させてもらうと、それぞれ、昭和2年、4年、7年、13年生れ。
昭和2年生まれの方は84歳になります。
3年前に亡くなった私の父は、ちなみに昭和3年生まれでした。
確か昭和7年生まれの方だったと思いますが、この方は癌の罹患歴もお持ちです。
みなさん下関からいらした方々で、同じ山岳会に属し、かれこれ60年近く一緒に登っている仲間だそうです。

80歳、90歳になっても元気かそうでないかというのは、やはり個人差によるところが大きいのかなと今まで何となく思ってきたのですが、彼らのように同じ山岳会に属している4人がみなそれだけの年齢まで元気に登り続けていることを考えると、個人差という言葉だけではかたずけられない理由がそこにはあると思えます。

さて翌朝、焼岳小屋の方に、「84歳というのはすごいですねえ」と私が話したところ、
「95歳と93歳の男性の方がたまたま小屋にいあわせたこともありますよ」
と、またまた驚く言葉が返ってきました。
夕食の席で93歳の男性が、「今日はこの小屋で私が一番最年長でしょうね」と話したら、横に座っていた男性が、「いや、私は95歳です」と。
もちろん2人とも焼岳の山頂を踏んで下りられたそうです。

by uobmm | 2011-10-16 18:12 | エッセイ | Trackback
2011年 03月 22日

韓国の新聞記事

ソウル在住のお客さまから送っていただいた韓国の新聞記事の内容が興味深かったので、そのまま転載させてもらいます。

「全世界が日本の大地震に2度の衝撃を受けている。 まずマグニチュード9.0の超強力地震がもたらした残酷な被害だ。 巨大な津波で約2000人が死亡し、1万人以上が行方不明となった。 宮城県のある村は住民の半分が行方不明になったという。
原発も心配だ。
日本政府は福島原発周辺の住民21万人を疎開させ、海水で原子炉を冷却する非常措置に入った。 不純物の混入で原子炉を事実上廃棄する劇薬処方だ。 日本列島が連日、地震、津波、原発危機に呻吟しているのだ。

もっと驚くのは不思議なほど冷静な日本人だ。 死の恐怖の中でも動揺しない。 避難要員に従って次々と被害現場を抜け出し、小学生も教師の引率で列を乱さず安全な場所に移動した。
地下鉄・バスの運行が中断すると、会社員は会社から支給された緊急救護物品をかついだまま静かに家に帰った。
みんな走ることもなく3~4時間ほど歩いた。 翌日はいつも通り会社に出勤した。
想像を超越した大災難と日本人の沈着な対応に全世界が衝撃を受けている。

私たちは大規模な自然災害が過ぎた後に発生する数多くの無秩序と混乱を目撃してきた。
昨年22万人が犠牲になったハイチ地震がその代表例だ。「地震よりも無法天地の略奪と暴力がもっと怖い」という声が出てきたほどだ。 ハイチが開発途上国だからというわけではない。 05年にハリケーン「カトリーナ」が襲った米国のニューオーリンズでも暴力と腐敗が相次いだ。
こうした記憶のため、日本人の冷静さがよりいっそう引き立って見えるのかもしれない。 惨状を前に泣き叫ぶ日本人はほとんど見られない。 地震の混乱に紛れて強盗や殺人事件が起きたという話も聞こえてこない。 テレビの画面は、列に並んで救護食品を受け取ったり、売店の前で静かに待った後、必要な分だけ購入していく風景ばかりだ。

ただ地震が頻発する日本の地理的特殊性だけでは、こうした現象をすべて説明することはできない。 徹底した耐震設計と速い警報システムが被害を減らしたのは事実だ。 徹底した事前教育と避難訓練も間違いなく力になっている。
一つの国の真面目も大事件を迎えてこそ表れる。 それがまさに国民性だ。
全身が凍りつくような恐怖の前で、日本人は落ち着いた国民性を遺憾なく発揮している。
1995年の阪神・淡路大地震当時、意外にも20%ほど円高が進んだ。
日本の国民性を誤って判断した海外投資家は痛い目にあった。 最近の円高も国際金融市場が災難の前で団結する独特の国民性を看破したためだ。

日本人は沈着な対処で阪神・淡路大地震を乗り越えて自ら立ち上がった。
今回の大地震の傷もいつか治癒されるものと信じる。 むしろ私たちは日本を見て、韓国社会の自画像を頭に浮かべる。
災難現場でテレビカメラが向けられれば、表情を変えて激しく泣き叫ぶことはなかったか。
天災地変のため飛行機が少し延着しただけで、一斉に大声で文句を言うことはなかったか。
すべての責任を無条件に政府のせいにして大騒ぎしたことはなかったか。
隣国の痛みは考えず、韓国に生じる反射利益を計算したことはなかったか…。
私たちは自らに厳しく問う必要がある。
また災難と危機の際、韓国社会の節制できない思考と対応方式を見直す契機にしなければならない。
私たちは依然として日本から学ぶべきことが多く、先進国へと進む道のりも遠い。」


何かコメントを付与する必要はなく、読んでいただければ十分と知りつつも、あえて一つだけ書かせてもらうなら、私は最後の、「私たちは依然として日本から学ぶべきことが多く、先進国へと進む道のりも遠い」という言葉が特に印象的でした。

韓国人が日本人に対して抱く、過剰とも思えるライバル意識を私たちはよく知っていますが、その一方で彼らが持っている日本人への“学ぶ姿勢”の大きさは、私たち日本人にはほとんど知られていないのではないかと思い至ったのです。
1988年、学生の時に韓国に行き、向こうの大学山岳部の学生と交流登山を行ったことがあります。
私たちが韓国の山や登山事情についてまったく疎かったのとは対照的に、彼らは日本の山岳雑誌等をよく読んでおり、日本の山のことを実によく知っていました。
今日送っていただいた新聞記事の和訳を読んで、ふとそんなことまで思い出しました。

by uobmm | 2011-03-22 14:49 | エッセイ | Trackback
2011年 03月 02日

海を眺めて

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何年かのちにはどこか地方の海辺に移り住んで、半・自給自足のような生活をはじめたい。
友人がそんな話をしていた。
その友人も私と同じ仕事をしているので、
「海じゃなくて山の近くに住んだ方がいいだろ!」
という突っ込みが入りそうだけれど、私はその話を聞いて、現実離れしたプランとは感じなかった。
むしろ、よい話だなあ……と思った。

今日は雨もよいの天気だったが、海を眺めたら、友人のその話を思い出した。

by uobmm | 2011-03-02 19:59 | エッセイ | Trackback
2010年 12月 21日

ノルウェイの森

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先週、公開されたばかりの映画 『ノルウェイの森』 を観た。
おそらくは多くの村上春樹ファンに一致する思いだと思うのだが、村上春樹の小説を映画化するのは難しいのではないか?
とぼくも思っていた。だからそれほど期待して観たわけではない。
映画は意外と面白く、なかなかよかった。
映像は美しく、主演の松山ケンイチは村上春樹によく似ていた。
もっとも、原作を読んだばかりの人がこの映画を観たら、小説との違いにどうしても思いがいき、不満を抱くのかもしれない。
幸いぼくが 『ノルウェイの森』 を読んだのは、あの本が出版された年、すなわちもう20年以上も前のことなので、内容をほとんど覚えていなかった。
だから素直に映画を楽しめたのかもしれない。

ぼくが 『ノルウェイの森』 を読んだのは、まだぼくが本の主人公と同じ大学生の頃である。
『ノルウェイの森』 はタナハシという友人に貸してもらった。
タナハシは当時、鬼子母神で知られる東京の雑司ヶ谷の、古い木造下宿に住んでいた。
玄関を開けると小さな靴脱ぎと下駄箱があり、各部屋には靴を脱いでから廊下をたどるという、昔懐かしいスタイルである。
その頃のぼくたちは飲んだあと、タナハシの下宿に転がり込むことが少なくなかった。
彼の部屋はその下宿のたたずまいにふさわしく、いつも乱雑にちらかり足の踏み場もなかった。
学習院大学文学部仏文科に籍を置くタナハシは、それでなかなかの読書家だった。
サルトルの 『嘔吐』 、永井荷風の 『濹東綺譚』 、四行詩 『ルバイヤート』 など、おそらく自分では手にとることがなかったであろうそんな本もタナハシに借りて読んだりした。

その頃ぼくは村上春樹の名前はむろん知っていたが、本はまだ読んだことがなかった。
『ノルウェイの森』はまさしく、本をおくにあたわず、という面白さで、ぼくはあの上下2冊の本を、その日朝までかかって一晩で読み終えた。
徹夜して一冊の本を読み終えたなどという体験は、ぼくの人生の中で二度か三度しか記憶にない。そのうち書名を覚えているのは『ノルウェイの森』だけである。
『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』……。
ぼくがその後、村上春樹の小説を片端から読みはじめたのは言うまでもない。
『世界の終りとハードボイルトワンダーランド』 だけはすぐには読まず、あの本は南極に持っていった。
南極を歩いているあいだに読んだおよそ10冊の本はどれもみな印象深く面白かったが、『世界の終りと~』はその中でも一番だった。そして今でも村上春樹のマイベストである。

『ノルウェイの森』 を読み終えたあと、当然のごとく「ノルウェイの森」が聴きたくなり、ビートルズのLPレコード『ラバーソウル』 をタナハシに貸してもらった。
「ノルウェイの森」はベスト盤にもむろん入っているけれど、もとは『ラバーソウル』というアルバムに収録されていたのだ。
タナハシは本好きであると同時に、大の洋楽ファンでもあった。
村上春樹の小説を読むと、その中で流れる音楽を聴きたくなる。
ぼくは『ノルウェイの森』を読みビートルズを聴き、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を読んでボブ・ディランを聴くようになった。
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その後ぼくが人より長く引き延ばした学生生活に終止符を打ち、サラリーマンとしてせっせと働きはじめた頃、大学を卒業しても定職につかなったタナハシは、アジアを放浪する旅に出て、そしてそのまま行方知れずとなった。
本が好きで、洋楽やジャズが好きで、物静かで、そしてなかなかにおしゃれなタナハシは、今になって気づくことだけれど、村上春樹の性向によく似ている。
彼に借りたまま返しておらず、ぼくの本棚に眠ったままになっている本が実は今でもある。
タナハシは元気にしているだろうか……?
何年か前にきれいで素敵な奥さんをもらい、今では堅実に暮らしているという話だ。
彼の部屋はもう散らかっていたりはしないだろう。

一冊の本を徹夜して一晩で読み切るようなそんな熱い読書エネルギーが、はたして今のぼくに残っているだろうか?



『氷の中の休日』、更新中です。

by uobmm | 2010-12-21 10:36 | エッセイ | Trackback
2010年 09月 16日

別山がよい山であるということと私がガイドであるということ

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剱御前小屋に泊まった翌日は、別山~立山三山を縦走しました。
来る前の予報より悪くなり、この日の天気予報は曇りのち雨。しかし、午前中は思ったよりよい天気でした。
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別山から立山三山というのは展望の素晴らしいなかなかにすぐれたコースだと、今回初めて気づきました。
私がガイドでなかったら、「別山がよい山だ」なんて、きっと一生思うこともなかったでしょう。
前から思っているのですが、山岳ガイドはお客さんの視線(視点)で山を眺めるため、自分がプライベートで登る山では気がつかない山の魅力や美しさを発見することができます。

種池山荘から爺ヶ岳方面に少し登ったあたりから眺める剱岳って最高に素晴らしいな、とか。
別山方面から眺める立山三山は荒々しくて、なかなかの迫力だなあ……。
などということは、ガイドにならなければ、おそらく考えることもなかったのではないかと思うのです。
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立山の稜線は思ったより暖かかったですが、空はまぎれもなく秋の色でした。

by uobmm | 2010-09-16 15:38 | エッセイ | Trackback
2010年 01月 14日

雪の山小屋で

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先日の栂池スキー合宿は早稲田大学山岳部の神ノ田圃ヒュッテに泊まらせてもらった。
栂池スキー場のさらに上にあるので、バックカントリー愛好者には垂涎の場所だろう。
白馬五竜スキー場最上部に建つ我が法政遠見ヒュッテも同じような環境にあり、大学山岳部というのは恵まれていると思う。
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それに、大学山岳部というのはつながりが濃く、大学が異なる先輩でも直接の後輩と同じようにかわいがってくれるし、こうして他大学の山小屋を利用させてもらうこともできる。

早稲田大学山岳部のN先輩とはもう20年以上のおつきあいだ。
6歳くらい上だが、学生時代から新宿近辺でさんざん飲ませていただいたのだ。
この栂池のヒュッテにも、この小屋が20年前、新しい小屋に変わる前に、連れてきてもらったことがある。

20年もたつのに、今もこうして一緒にスキーをし、山小屋で同じ時を過ごすことができるのは幸せなことだとつくづく思う。
そうして私たちは久しぶりに雪の山小屋で、心おきなく山の歌を高唱したのであった。

by uobmm | 2010-01-14 17:00 | エッセイ | Trackback
2009年 10月 09日

『岳』 を読む ③

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『岳』 は遭難救助を題材にした漫画であり、山で怪我をしたり亡くなったりする人がたびたび描かれる。
そしてそれにもかかわらず読後感はさわやかだ。
それは主人公・島崎三歩の底抜けに明るくあっけらかんとしたキャラクターもあるけれど、何より三歩が山の素晴らしさを本当に知っていて、心底山が好きだということが、作品からひしひしと伝わってくるからではないだろうか。
そう、『岳』 に終始一貫して描かれているのは、まぎれもない登山と登山者への讃歌である。
「~~讃歌」という言葉に、実は私はちょっと時代遅れな印象を抱くものだ。けれど、『岳』 の内容を一言で言い表そうとするとき、“山への讃歌”という言葉以上に適切な表現を、私は思いつくことができないのである。

美しさと危険が共存する世界―― 山。
山の素晴らしさと、山の厳しさを知る男・島崎三歩。

『岳』 の裏表紙にかかれた漫画の説明文だ。
一定以上の深さで山をやっている登山者ならば、山がこれほどまでに魅力的なのは、そこに危険があり、死というリスクを内包しているからだということを知っている。
作者の石橋真一は、危険があるから、より輝きを増す登山の本質を、遭難救助を題材とすることで見事に伝えることに成功した。
『岳』 の素晴らしさは、ストーリーの面白さと、山岳風景描写の広がりのある美しさに加え、この生と死が共存する山という世界の魅力を、正面からきちんと描いているところにあると思う。
だからこそ、遭難場面がひんぱんに現れるこの漫画を読み、“山は怖い” と思う人よりも、 “山に行ってみたい” と思う人の方が圧倒的に多いのではないかと思うのである。

「ねえ三歩さん」
「ん?」
「どうしてそんなに山が好きなんですか?」
第10巻の中で、救助隊の若い同僚が山の中で三歩に尋ねるシーンがある。
「どうして? うーん、それはいっぱいあり過ぎて答えられないなあ」
そう答えた三歩に、若い同僚は、そのうちの一つだけでも教えてくださいよと食い下がる。
「うーん……そうだなあ……例えば……」
そして三歩はこんな表現で、誰しも答えにくいであろう自らが山に登る理由を語るのである。

例えば……
高いけど高すぎない5千メートルくらいの冬の山。
まだ月が昇ってる夜中に雪の稜線のテントから顔を出すと山の空気はさすように冷たくて……
風はなくて静かで……
あたたかいコーヒーを一杯飲んで、残りはテルモスに入れる。
月が明るいからヘッドライトも点けないでテントを出る。
雪はウエハースをふんで歩いているように気持ち良くて、
クランポンの全ての刃をしっかりとらえる。
そんな冬山の稜線を一人で歩いていると、
この世には自分しかいないように感じてくるんだ。
でも孤独じゃなく、恐怖もなく、ただただウエハースの雪を感じながら歩く。

「そんな時はいいなあって思うよ。山が好きだなあって……」

「なぜ山に登るのか」という古典的問いに対し、的確な返答ができるものは、経験豊富な登山者の中にさえ、決して多くはいない。
どうして山が好きかと問われ、こんな答え方をするのは、凡百な登山者にできることではないのである。

「うーん、それはいっぱいあり過ぎて答えられないなあ」
まずそう言って、それからあのような表現で山が好きな理由を語った三歩に、私は同じ登山者としてすごく共感を覚える。
はじめて読んだ時、荒唐無稽のオンパレードと思えたこの漫画に、逆に何とも言えないリアリティーを感じるのである。

三歩とならいい友達になれそうだな……。
山の志向があいそうだな……。
私は最近そんなことを思いはじめている。


                                                    了

by uobmm | 2009-10-09 16:48 | エッセイ | Trackback