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山について語るときに僕の語ること(What I Talk About When I Talk About Mountain)

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2009年 10月 09日

『岳』 を読む ③

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『岳』 は遭難救助を題材にした漫画であり、山で怪我をしたり亡くなったりする人がたびたび描かれる。
そしてそれにもかかわらず読後感はさわやかだ。
それは主人公・島崎三歩の底抜けに明るくあっけらかんとしたキャラクターもあるけれど、何より三歩が山の素晴らしさを本当に知っていて、心底山が好きだということが、作品からひしひしと伝わってくるからではないだろうか。
そう、『岳』 に終始一貫して描かれているのは、まぎれもない登山と登山者への讃歌である。
「~~讃歌」という言葉に、実は私はちょっと時代遅れな印象を抱くものだ。けれど、『岳』 の内容を一言で言い表そうとするとき、“山への讃歌”という言葉以上に適切な表現を、私は思いつくことができないのである。

美しさと危険が共存する世界―― 山。
山の素晴らしさと、山の厳しさを知る男・島崎三歩。

『岳』 の裏表紙にかかれた漫画の説明文だ。
一定以上の深さで山をやっている登山者ならば、山がこれほどまでに魅力的なのは、そこに危険があり、死というリスクを内包しているからだということを知っている。
作者の石橋真一は、危険があるから、より輝きを増す登山の本質を、遭難救助を題材とすることで見事に伝えることに成功した。
『岳』 の素晴らしさは、ストーリーの面白さと、山岳風景描写の広がりのある美しさに加え、この生と死が共存する山という世界の魅力を、正面からきちんと描いているところにあると思う。
だからこそ、遭難場面がひんぱんに現れるこの漫画を読み、“山は怖い” と思う人よりも、 “山に行ってみたい” と思う人の方が圧倒的に多いのではないかと思うのである。

「ねえ三歩さん」
「ん?」
「どうしてそんなに山が好きなんですか?」
第10巻の中で、救助隊の若い同僚が山の中で三歩に尋ねるシーンがある。
「どうして? うーん、それはいっぱいあり過ぎて答えられないなあ」
そう答えた三歩に、若い同僚は、そのうちの一つだけでも教えてくださいよと食い下がる。
「うーん……そうだなあ……例えば……」
そして三歩はこんな表現で、誰しも答えにくいであろう自らが山に登る理由を語るのである。

例えば……
高いけど高すぎない5千メートルくらいの冬の山。
まだ月が昇ってる夜中に雪の稜線のテントから顔を出すと山の空気はさすように冷たくて……
風はなくて静かで……
あたたかいコーヒーを一杯飲んで、残りはテルモスに入れる。
月が明るいからヘッドライトも点けないでテントを出る。
雪はウエハースをふんで歩いているように気持ち良くて、
クランポンの全ての刃をしっかりとらえる。
そんな冬山の稜線を一人で歩いていると、
この世には自分しかいないように感じてくるんだ。
でも孤独じゃなく、恐怖もなく、ただただウエハースの雪を感じながら歩く。

「そんな時はいいなあって思うよ。山が好きだなあって……」

「なぜ山に登るのか」という古典的問いに対し、的確な返答ができるものは、経験豊富な登山者の中にさえ、決して多くはいない。
どうして山が好きかと問われ、こんな答え方をするのは、凡百な登山者にできることではないのである。

「うーん、それはいっぱいあり過ぎて答えられないなあ」
まずそう言って、それからあのような表現で山が好きな理由を語った三歩に、私は同じ登山者としてすごく共感を覚える。
はじめて読んだ時、荒唐無稽のオンパレードと思えたこの漫画に、逆に何とも言えないリアリティーを感じるのである。

三歩とならいい友達になれそうだな……。
山の志向があいそうだな……。
私は最近そんなことを思いはじめている。


                                                    了

by uobmm | 2009-10-09 16:48 | エッセイ | Trackback


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